「東日本大震災から 1 年」

在デンマーク日本大使

佐野利男

 

2011 年 3 月 11 日、ちょうど 1 年前の今日、我が国で東日本大震災が発生しました。日本はこれまでも幾度も地震や津波など自然災害に遭った「災害大国」です。ただ、今回の大震災がこれまでと大きく異なるのは、マスメディアの発達により、我が国国民のみならず、世界中の多くの人々が押し寄せる津波の脅威を恰も実況中継でも見るかのように目の当たりにし、「体験」したことでしょう。 "Tsunami" は今や国際語となりました。

 

1.デンマークからの心温まる支援

 

我が国は、大震災発災以降 163 の国・地域と 43 の国際機関から支援の申出を受けています。デンマークからも 政府、国民そして企業から、また、多くの在留邦人から暖かい支援を頂きました。マルグレーテ2世女王陛下、ラスムセン首相(当時)、エスパーセン外相(当時)等からの親書、同首相から私への弔意表明、緊急チームの派遣、24、000枚の毛布、多くの関連企業職員による多額な献金、教会でのミサ、日本大使館前のキャンドルサービスに集まってくれた学生達、当地の音楽家達のチャリティーコンサートに参加してくれた人々、被災した日本の子供たちを招待してくれたフレーデンスボー・コミューンの方々、街頭募金に応じてくれた市民や観光客、お母さんに促されて小さな手で5クローネを私に手渡してくれた3,4歳の女の子・・・。

 

昨年5月中旬、在京のメルビン・デンマーク大使(当時)から、「急遽フレデリック皇太子殿下が訪日される。目的はただ一つ、被災された方々を激励するため。」と言う電話が私に入りました。そして6月中旬に、皇太子殿下一行は、激しく被災した街の一つである東松島市をご訪問されました。殿下は、仮設住宅前に立ちつくす被災者に声をかけられ、浜市小学校では子ども達との給食後、サッカーチームとの試合に参加されました。また、赤井南保育園では、幼児の中に飛び込み、レゴブロックをプレゼントされました。日本三景の松島では遊覧船に乗られ、鴎が飛び交う中「自分は日本が安全であることを世界に示したかった」とのメッセージを発されました。同年11月にはヨアキム王子ご夫妻も訪日され、夫妻のご希望により、東松島市の児童 20 名ほどが東京都内に招待され、ご夫妻と共に折り紙などを作り交流しました。

 

デンマーク王室から震災後に相次ぎご訪問が行われたことは、我が国国民にとり大変友好的で重要なメッセージとなりました。私は在デンマーク大使として両殿下のご訪日にそれぞれ同行いたしましたが、ヘビーな日程をこなされた「北の国からやってきた王子様」に勇気づけられたのは決して被災地の子ども達だけではなかったはずです。被災した我が国国民に寄り添おうとするこのようなデンマーク人の素直な気持ちに触れたことは、この国に住む私達に、デンマーク人について何ものかを感じさせてくれました。この国との関係を職務とする私にとっても大変貴重な経験でした。今回の大震災では、デンマークを含む国際社会からの支援が大きな役割を果たし、我々日本人は大きな感謝の念を抱きました。震災 1 年というこの機会に改めて、デンマークの皆様からの官民挙げた心温まるご支援に対し、日本国民を代表し深く御礼申し上げます。我が国は、世界から示された共感を基盤に今後とも力強く速やかな復興を進めていきます。

 

2.創造的で且つ開かれた復興

 

今回の大地震と大津波は、我が国が戦後直面した最悪の自然災害ですが、我が国は、元に戻すという単なる復旧ではなく、安全・安心で高い技術を誇る我が国社会の特性を最大限活かし、「未来に向けた創造的な復興」、「内向きではなく世界に開かれた復興」を推進しています。世界各国の皆様からいただいた支援・連帯を糧に、諸外国の様々な活力も取り込みながらより魅力的な国に生まれ変わることが目標です。

 

今回の震災では,最悪の状況下でも礼節を保ち整然と行動し、助け合い、懸命に立ち上がろうとする日本人の姿が世界で大きく注目されました。これは,日本人の根底に脈々と流れる「共生」の精神が発揮されたものだと思います。人は競争により進化し,共生によって持続可能になります。共生はこれからの時代を生きる世代に最も必要とされる考え方ではないでしょうか。我が国はこの共生の理念に基づいて、例えば次のように「開かれた復興」を推進します。

(1)日 EU ・ EPA 交渉の早期開始

私たちは、今回の震災により,改めて世界市場との緊密な連携があってこその日本経済であることを痛感しました。「開かれた復興」でなければならない所以です。共生の精神は,経済・社会の発展につながる考え方であり、共生と競争の共存を図る試みが経済の連携と言えるでしょう。経済連携を強化するためには,自由な貿易・投資体制の推進が必要不可欠です。現在、我が国は日 EU ・ EPA 交渉の早期開始に向けて努力していますが、震災によりその意義は何ら損なわれることはなく,むしろ以前にも増して重要になっていると思います。

 

(2)復興特区制度

我が国政府は、東日本大震災の被災地における規制緩和などを認める「復興特区制度」を推進しています。これにより、例えば、被災地における医療者の配置基準が緩和されたり、或いは、患者の受け入れや医師の確保が困難な病院の運営を支援し、また、医療機器を含む製造業を後押しするための税の優遇措置を講ずる等して、国内外から新たな企業の投資を呼び込み復興を加速します。被災地の復興を我が国最先端の地域モデルとしていくことが目標です。

 

(3)外国人へのビザ手数料免除

特に被害が甚大だった岩手県、福島県、宮城県の三県に対する復興支援として、三県いずれかを訪問する外国人に対するすべての査証手数料を免除します。この措置により、外国人の訪問が促進され、被災地の復興の一助となることを期待しています。

 

(4)エネルギー政策

東日本大震災による福島原発の惨事を経て、日本のエネルギー政策の見直しの動きが進んでいます。震災の教訓とエネルギーの安全供給、経済性、環境配慮など、優先順位の検討も行いつつ、持続可能な経済・社会を可能にするエネルギーの新たなベストミックスを構築するための議論が高まっており、今年の夏までには新しいエネルギー基本計画が策定される予定です。また、エネルギー需要構造の改革とエネルギー供給構造の改革、さらには電力経営の効率化によるコスト抑制が自律的に進むような新しいエネルギーシステムの構築が原子力への依存度低減のシナリオ実現の鍵となります。洋上風力、新型太陽電池、革新的蓄電池など開発目標が実現すれば、日本の再生や世界の課題解決に貢献できる次世代技術パラダイムの実現を前提とした戦略にもなりえると考えています。

 

3.風評被害対策

 

本年1月、日本での会議出席のために帰国した我が国欧州各国大使の一部が福島県の被災地を訪問した際、県知事から、「福島は汚染されているとの根拠のない先入観が形成され、これが風評被害につながり、福島県産の生産物が流通しなくなっている。国内外における誤解払拭のために全力で取り組んで欲しい」との要請がありました。実際には、今年の新米等含め消費者の手元に届く福島県産の生産物の多くは、収穫の前と後の二段階で放射性物質調査などが実施されており、安全が確保されています。我が国政府は、駐日各国外交団や海外メディアを被災地に招待する等して、このような現地の実情を見てもらうとともに、原発の現状や出荷制限等我が国がとっている措置について最新の情報を提供し、日本からの輸入品及び日本への渡航の安全性について理解を深めてもらうべく努力してきています。私たちは、今後かかる取り組みを更に強化します。

震災後、初めて日本を訪問した方々は,これまでと変わりない活気ある東京の日常に驚かれたのではないでしょうか。日本の多くの地域は大震災の影響はなく,日本は以前と変わらず「 open for business and travel 」であり続けています。これまで国際社会から多くの支援を頂いていますが,更なる御支援を頂けるとすれば,これまで通りに,いや,これまで以上に,被災地を含め我が国とのビジネス・観光・留学を推し進めていただくこと、これこそが我々にとり最もありがたい支援の一つであると私は思います。

 

4.最後に

苦境にあるときこそ人間が試されると言います。国や国民もそうでしょう。困難な時ほど、国や国民の価値や生命力が問われます。1864年、プロイセンとの戦争に敗れ、最も豊かな南部二州(南シュレースヴィヒ及びホルスタイン)を失ったデンマークは未曾有の国難に直面します。その時、教会や制度よりも個人としての人間に焦点を当て、人々を鼓舞し啓蒙し続けた教育者グルントヴィ、「外で失いしものを内にて取り返すべし」として荒野ユトランドの植林に奔走したダルガス親子の半世紀に亘る歴史がそのことを教えているようです。我々日本人も今「試されている」のは間違いありません。先輩達が営々と築き上げてきたこの美しい国を希望と志を失わず、智恵を出し合い、整然とした行動を以て一歩一歩復興し、改革を進め、未来に向けてもう一度大きく扉を押し開くことこそが私達日本人に求められているのだと考えます。
                                                       (了)