2月10日 ヨハネス・クヌッセン機関長の65周忌 遺徳を偲んで
1957年2月10日、ヨハネス・クヌッセン機関長は、和歌山県の厳寒の海に飛び込み、日本人漁民の救出を試み殉難されました。その勇気ある行為は語り継がれ、日本とデンマークの友好関係の礎として、多くの人々の胸に刻まれてきました。 2022年2月9日、65周忌に先立ち、昨年8月26日の日本大使公邸での会談に引き続き、宮川学駐デンマーク大使は、故人の故郷フレデリクスハウン市のビヤギッド・ハンセン市長とオンライン会談を行い、クヌッセン機関長の遺徳を偲び、故人の人道的かつ勇気ある行為に対する敬意とご遺族への哀悼の念を表明しました。
また、両者は、クヌッセン機関長の歴史、両国の文化、共通の民主主義について、若い世代に語り継ぐことの重要性について認識し、新型コロナ感染症収束後のフレデリクスハウン市と和歌山県の高校生交流の継続(写真は、2月9日、現地の高校生がクヌッセン機関長のお墓にお花をお供えする様子)、大使のフレデリクスハウン市答礼訪問、バングスボー博物館と大使館との交流、両国のビジネス機会探求等の可能性について意見交換しました。
ヨハネス・クヌッセン氏の故郷にあるバングスボー博物館の一室には、概要以下の説明と故人ゆかりの写真、遺品が展示されています。
「ヨハネスは、1917年12月22日、フレデリクスハウンで生まれ、父親は果物の卸売業を営んでいました。地元の学校に通ったヨハネスは、卒業後、技術士として訓練を積み、航海機関士となるべく専門学校に進みました。少年時代も成人してからも、いつも元気がよく、どこに行っても回りの人を笑顔で一杯にする人でした。1940年1月、A.P. モラー・マースク社に機関士補として入社し、1952年機関士に昇進、1957年1月22日、エレン・マースク号の機関長として乗船、それが最後の航海となりました。そして、運命の2月10日午後9時過ぎ、荒天の中、名古屋から神戸に向かう同船は、和歌山県日ノ御碕沖にて、炎上する日本の漁船を発見、救助に向かいました。」