デンマークと私 第7回 フィッシャー・緑さん
「デンマークと私」の第7回目は、元デンマーク日本人会会長のフィッシャー・緑様に執筆をお願いしました。お忙しい中、本稿の執筆を快諾いただき、心から感謝申し上げます。
全国試合が好きだ。サッカーであろうと、ハンドボールであろうと、試合初めに歌われる国歌、デンマークの国歌、観衆が胸いっぱい膨らませて歌う、その国歌が大好きなのである。“美しい国、ブナの緑に覆われて・・”。生まれは日本人であるけれど、私も声を合わせる。特に2004年6月16日に国民権を取得してからは、何のためらいもなしに。
デンマークに居住するようになって35年経ち、2001年に私は市民権取得のための申請書を提出した。その書類に必要事項を書き込むのは、それが3度目だった。最初の2回は最後のところで “第5項:従来の国民権を破棄する” ことに同意を求められて、躊躇したのだった。“なぜ?” その当時は、私の新しい祖国が、私を日本と共有することを拒んだのであった。
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私は戦争中1942年に生まれ、2年ほどの間「お父さん」と言うのはいかめつい顔をした、黒白写真の人のことだった。それでも父は太ももに小さな銃創をつけて帰還してきた。それまでの子供時代の思い出と言えば戦闘機B29が頭上を飛んだこと、暗い防空壕の中で、乾燥イモを握って座っていたこと。やがて妹が生まれたけれど、お砂糖は赤ちゃんだけのための配給だったこと。やがて進駐軍が真っ白いセーラー服で週末などに江の島に現れるようになった。ちょっと怖いとは思ったけれど、子供達には優しくしてくれた。
1951年にサンフランシスコ平和条約が締結されて、黒髪と金髪の女の子が手を取り合っているポスターを描いて、学校へ提出した。 わたしたちの子供時代、両親はともに大変な苦心をしたようだったが、姉妹ともに何とか “標準的”な生活をさせてもらった。私は交換留学生として1960年にアメリカへ留学し、やがて夫となるデンマーク人に出会い、1964年に彼の国へ移住した。
それは、ちょうど父母の経済的状況が変化しつつあったころであった。つまり戦時中に失われた経済力を持ち返そうとの惨憺たる苦戦から脱し、惨めだった家をそれなりの住宅に建て直した時期でもあった。
そのような時期において、私自身は第二次大戦という巨大な争いごとのもたらした影響に関して、ろくに意識していなかった。広島も長崎も、東京・横浜の生活からは、はるかに遠い教科書の存在であった。自分が当時の日本と日本国民の立場に関して十分知識を持たず、直接意識を培われなかったことを悔やみ、なにより悲しく思う。
そして国の再建のために自国民が苦戦・努力したとの共同の体験なしに育ったことが残念で、心が痛む。
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デンマークは5年間、ナチのドイツの占領下にあった。とはいえ、当時すでに農業生産に優れていたため敵国の食糧庫となり、幾分お手柔らかに扱われたことも事実であった。同時に国民は自身の置かれた不自由で侮辱的、不正当な立場を完全に自覚しており、特に同じ国民であって惨い扱いを受けた同胞少数民族への理解も欠いていなかった。つまりデンマーク人として、相手が異民族であっても、同国民としての共感をもって接し、彼らのために等しく犠牲を払ったのである。
デンマーク人の持つ同胞に対する共感の存在とその強さを、私は憧れ、羨望して止まない。その “共感” の力は、早くも150年ほど昔から協同組合運動や国民高等学校の力強い背景として存在し、今日の福祉社会を築く始まりとなっていた。そして今日2年ほど前に襲ったコロナ感染による不自由で、隔離状態に置かれ、孤独に悩む毎日の中で、国有テレビを通じて持ち上がった、母国の歌を「一緒に歌う」運動が多数の国民に共有され、大きな意義を果たした。ちなみに、自由市民が自発的に集まって、母国を愛し称える歌唱を共にする集まり”FÆLLESSANG”(共に歌う、当時はALSANGと呼ばれた)は、第二次大戦中占領下において草原を走る火のように、広まった現象であった。
今日2022年現在においてはプーチンのロシアから及ぼされる脅威に対抗するために、防衛力を増強する目的で 与党と他の大政党が提案し、“国家的妥協” を成立させた。6月1日に行われた国民投票の結果は、投票数の3分の2を超える票数で、国民の共感を確認している。デンマークはEU防衛体制において、長年一部免責を認められていたのだが、投票の結果その“特権”から脱し、メンバー国として全面的に責任を負うこととなった。デンマークはウクライナを軍事武装の面で支持し、自国の防衛予算を歴史的に増すことになった。このように国民はいざとなれば幅広い共通の益のために、日常の政党政治の枠を超えて、必要な行動に移すことができる。そして今回は一国の限られた枠中だけでなく、ヨーロッパの、そして西側世界の一員として、自由と平和を目指す集団決議となって形を成した。
もちろんデンマークにも国歌「クリスチャン王は煙と蒸気の中、聳えるマストの脇に立ち・・・」があり、敵に打ち勝つ英雄の勇志と堂々たる華麗さに倣おうとする。同時に国家試合などの際に使われるソフトなバージョン “美しい国、ブナの緑に覆われて・・” もあり、祖国の歴史と自然美に国民を一体化させる。加えて祖国の詩人、アンデルセンによる、「デンマークの歌」も忘れられてはならない。
デンマークに生まれ、育ち、
根を張り、そこから世界へ挑む。
故郷の言葉、それは母の声
優しい励ましが心にとどく。
晴朗なデンマークの海辺、
リンゴの園、ホップ畑に
古代の勇士が眠る。
愛しい国! 祖国デンマーク!
「“I Danmark er jeg født” アンデルセン1850年、和訳:フィッシャー・緑」
フィッシャー・緑
2022.06.15.