ヨハネス・クヌッセン、日本、デンマーク

令和2年5月20日


(写真:和歌山県日高郡美浜町ヨハネス・クヌッセン遺徳顕彰会製作の冊子)
    「優しさをありがとう」。昨年9月,デンマークに赴任する直前に,和歌山県美浜町と日高町を訪れました。その際,町役場で頂いた「海の勇者クヌッセン機関長」のパンフレットの表題です。  
    昭和32年2月10日,風速20メートルを超える強風の日ノ御埼灯台の沖合で,炎上する日本漁船の船員を助けるべく,極寒の海に飛び込み殉難されたヨハネス・クヌッセン機関長(当時39歳)。その勇気ある行為は語り継がれ,多くの人々の胸に刻まれてきました。



(子供たちに紙芝居で語り継がれるクヌッセン機関長の遺徳:同冊子から抜粋)
 
 

(日高町クヌッセン機関長救命艇保管庫前の顕彰文 写真:2019年9月宮川学撮影)
    翻って令和2年春。デンマークでは,新型コロナウィルス感染症対策の国境封鎖,在宅勤務等の封鎖措置の実施から,2ヶ月余りが経ち,段階的な封鎖解除が慎重に進められ,日本では,多くの県で緊急事態宣言が解除され、更なる段階的な解除が検討されています(5月20日時点)。
    日本,デンマーク,世界各国で,医療関係者の方々が,大変な状況の中で,我々の命を守って下さっています。本当にありがとうございます。ある日本人の知り合いの夫は医師,息子も医師。毎朝,夫や息子を送り出す時に,無事に帰ってくることを祈るしかないと伺いました。
    デンマーク人と日本人が共有するメンタリティーは色々あると思います。着任からまだ7ヶ月の初心者の直感で申し上げれば,その1つが,「利他の精神」ではないかと感じます。
  



 (フレデリクスハウン市と「北ユトランド沿岸博物館」からの書簡)
    本年2月,クヌッセン機関長の63回忌にあたる命日の機会に,デンマーク北部のクヌッセン機関長の故郷フレデリクスハウン市のビアギット・ハンセン市長及びヘンリック・ニールセン北ユトランド沿岸博物館長と書簡で気持ちを伝え合いました。延期となった東京オリンピック,パラリンピックには,フレデリクスハウン市の代表の方々が参加予定であったこと,「北ユトランド沿岸博物館」の「バングスボー博物館」には,今もクヌッセン機関長の胸像や関連資料が常設展示されていることなどを教えて頂きました。

(クヌッセン機関長の常設展:写真「北ユトランド沿岸博物館」撮影)
    再度,去年の和歌山。暖かな秋空の下,静かな海を遠くに眺望し,供養塔の前で黙祷したことを思い出します。「あの嵐の夜,クヌッセン機関長の胸に去来した思いはどんなものであったろうか」と問いかけつつ。


(クヌッセン機関長救命艇保管庫前の田杭港からの海 写真:2019年9月宮川学撮影)
    当時のエレンマースク号の乗組員は「救助をもっとも近いところで見ていたクヌッセンさんは,何もためらうことなく「助けなければ」と,とっさの行動に出たのだと思う。我々はただ,祈るばかりだったが…」と語ったそうです。
 


(胴体に大きな裂け目のあるマースク号の救命艇写真:2019年9月宮川学撮影)
    日本もデンマークも,もうしばらくの辛抱です。夏から秋にかけて,デンマーク国内の移動も気兼ねなく可能になると期待しています。その時には,フレデリクスハウンの地を踏んで,クヌッセン機関長の墓前に報告したいと思います。「日本もデンマークも連帯と忍耐の精神で頑張りました。感染症を克服しました。天国から見守って頂きありがとうございました」と。

在デンマーク日本大使館
宮川 学