デンマークと私 第3回 長島要一さん「異文化との出会いは鏡の像 / 左右は逆でも / 上下は同じ」
令和2年10月23日
「デンマークと私」の3回目は、コペンハーゲン大学名誉教授であり、長年にわたって森鷗外、アンデルセン、日本・デンマーク文化交流史の専門家として日デンマーク関係に多大な貢献をされてきた長島要一様に執筆をお願いしました。お忙しい中、本稿の執筆を快諾いただき、心から感謝申し上げます。
「異文化との出会いは鏡の像 / 左右は逆でも / 上下は同じ」
古い話になるが、世界中で学生運動が高揚し日本でも大学が封鎖されたりしていた一九六八年に、たまたまデンマークを訪れて以来、居心地が良くて住み着き五十年以上が過ぎてしまった。最初に出会った人々と街の様子から受けた第一印象が良かった。親切ながらも度を過ぎることはなく、何をするにもゆったりして余裕があり、あくせくしていない国民性が気に入ったのである。
とは言え、日が経つにつれ自分の背負っている日本の文化・伝統と周囲のデンマークの日常との間に横たわる差異に気がつくようになった。言葉の問題があり、デンマーク社会の背景に関する知識が乏しいために偏見と誤解が多く、好き嫌いの判断が両極端を揺れ動いていたのである。
やがて、将来のことを考えざるを得なくなり、高校卒業の資格さえあれば当時は誰でも入学できたコペンハーゲン大学で学ぶことになった。そして後に、設置されて間もなかった日本語科にたまたま関わるようになり、修士の資格を得て助手になったのを皮切りに、ずるずると教師と研究者の道を歩んできた。
その間、デンマーク女性と出会って家庭を築き、公私にわたって内側からデンマーク社会の仕組みを体験することになったために、夢までデンマーク語で見るようになり、学問の対象となってしまった日本が遠くなった。けれども、日本語を忘れないように夏休みにはセシル・ボトカーの「シーラスシリーズ」を延々と邦訳して全14巻を刊行した。
日本近代文学理論を扱った論文で Ph.D. を取得した後、たまたま森鷗外訳アンデルセン原作の『即興詩人』について書いた論考がきっかけで鷗外の「誤訳」ぶりを研究するようになり、それが広く西洋「文化の翻訳」であったことに気がついた。「翻訳」である以上、必然的に誤訳がつきまとう。


一方、これもたまたま読んだデンマーク人スエンソンの日本滞在記を『江戸幕末滞在記』の表題で翻訳し、彼の日本文化観察に付随していた偏見と誤解を探り出した。鷗外の「誤訳」と軌を一にしていたのである。
こうして「文化の翻訳」をめぐる理論的な枠組みを固める一方で、前人未到だった日本・デンマーク間の交流の歴史を公文書に基づいて記述する作業に取り組んだ。20年ほどを費やして、徳川家康の時代から日露戦争期までを扱ったデンマーク語による著作2巻を刊行し、Dr.Phil. を授与された。
デンマーク人が日本を見る目と、日本人がデンマークを見る目、どちらにも無知と先入観から生じる誤解と偏見が常に存在してきた。にもかかわらず、私自身のデンマーク体験も踏まえ実感として言えることは、デンマークと日本との間の差異が分かれば分かるほど、同質性が見えてくるという事実である。お互いの文化に共通点があるという認識だけではなく、それを超えて言わば人間的な共感が得られるのである。自作のモットーを挙げておく。
「異文化との出会いは鏡の像 / 左右は逆でも / 上下は同じ」
このような背景のもと、長年勤めてきたコペンハーゲン大学の現職を退き名誉職の地位になった好機に、デンマークの文化・歴史を日本との接点において叙述する一般書を『デンマーク文化読本』と題して丸善出版から刊行することになった。

同書では、デンマーク人の残した日本滞在記や旅行記の中で綴られている日本観を読み解くことで、逆にデンマーク人の性格と気質を描いてみた。さらに、デンマーク文化の諸相も、美術・デザイン、学術・科学、文学・音楽、教育・福祉、食文化などについて、筆者の体験を織り交ぜて紹介してある。
