デンマークと私 第4回 山田正人さん「ここが私のアナザースカイ」

令和3年1月15日
    「デンマークと私」の第四回目は、MHIヴェスタス・オフショア・ウィンド社の最高戦略責任者として日デンマーク間の洋上風力発電ビジネスの発展に貢献された山田正人様に執筆をお願いしました。お忙しい中、本稿の執筆を快諾いただき、心から感謝申し上げます。

   


 

はじめに 



 


 
    私が、三菱重工業とヴェスタス・ウィンド・システムズ社の合弁会社であるMHIヴェスタス・オフショア・ウィンド社のチーフ・ストラテジー・オフィサー(最高戦略責任者)としての任期を終え、新たに、欧州で培った洋上風力の技術・経験を日本国内で展開するミッションを帯びて、ロックダウンで静まり返ったカストラップ空港から帰国してからおよそ10ヶ月がたった。
    当時予想だにしなかった親会社同士の出資方針の変更に伴い、同社は1月末をもって歴史的使命を終えることになり、デンマークで暮らす同僚とその家族たちは、再度ロックダウンされた厳戒のオーフスを後に、次々と帰国の途についている。
    各々の胸に何が去来しているかは知る由もないが、たとえこの会社の名前が世の中から消え、この会社に関与した日本人の多くがデンマークを去ったとしても、私自身がデンマークで過ごした6年の濃密な日々がモノの見方、考え方、価値観、そして将来への展望に及ぼした影響、変化は決定的で不可逆的だったと思う。
    今もふと思い出すのは、厳寒のオーフスの街角をひた走った時に家々の窓から溢れていたオレンジ色の温かな光と、ツンと鼻をつく暖炉の煙であり、自宅の書斎の窓から見わたした雄大なユランの広い空と色鮮やかな菜の花畑、そしていつもシニカルなジョークで笑わせてくれた無数のデンマーク人たちの笑顔である。

 

 

    私のごく限られた経験と考察がどれほどデンマークの真実に迫れるのかは甚だ心もとないが、あくまで個人的に、しかしお世話になったデンマークに心からの感謝と愛情を込めて、デンマークとは何か、デンマークのユニークさ、デンマーク的なものが私にとってどれほど重要なものなのか、について考えてみたい。

    三菱重工が、欧州で発展しつつあった洋上風力に進出することを決め、そのパートナーとして世界最大の風車メーカーであるヴェスタス社と合弁の交渉を開始したのは2012年初頭のことだった。
    それからおよそ2年間、私自身がこの交渉メンバーの中心としてヴェスタスの幹部と、事業について、統合の方針について、会社のあり方について、ほぼ毎月のように東京で、あるいはオーフスで膝詰めの議論を重ねてきた。
    オーフス市内のホテル、ラディソン・ブルーを定宿にし、打ち合わせの度に市内のレストランで食事を共にし、デンマークの文化や風俗についても多くのことを、彼らから知識として教わり、それなりにデンマークを知ったつもりでいた。
    しかし、2014年4月からオーフス市内に比較的大きな一戸建てを借りて、ほぼデンマーク人で固められた新会社での仕事を始め、その約1年後に妻と当時中三の長女、それに重度の自閉症を持った18歳の次男を引きまとめて生活してみて、見るもの聞くものすべてに、色々な意味で驚き、感心し、時に呆れ・・・、とにかく自分たちの常識を根底から覆されることの連続だった。
    それは必ずしも、私が50歳になって初めて海外で暮らしたから、というだけではなく、やはりデンマークの特異性、ユニークなお国柄による部分が多大にあったと思う。

 

1. 仕事・職場編

    MHIヴェスタスで、日々デンマーク人の上司、同僚たちと洋上風力の戦略やマーケティングを考え、新しい工場を立ち上げ、世界最大の洋上風車を開発、量産する仕事は文字通りエキサイティングだったが、彼らのものの考え方や仕事の仕方、価値観には驚かされることが多かった。

 


    基本的に勤勉で責任感が強く、プロとしての誇りを持っている彼らが、同時に家庭生活を最重視し、毎日16時には子どもを学校に迎えに行くために退社し、3週間の夏季休暇のために7月はほとんど仕事をせず、育児休暇で突然1ヶ月以上戦列を離れ、それに誰も違和感を持たない。どう見ても日本のサラリーマンよりも限られた労働時間しか使えないにも拘らず、無駄を省き生産性を上げ、何とかかんとかタスクをこなして成果をあげて行く。
    この徹底したワーク・ライフ・バランスには恐れ入りつつ、私たち日本人駐在員も急速にその思想に馴染んでいった。毎日自宅で家族と夕食の食卓を囲み、夏休みにはリゾートホテルのプールサイドで何もしない贅沢な日々を送り、ポテト休暇やスキー・ホリデイには欧州の国々を巡る。夕食後はうんうん唸りながら、子どもと一緒にインターナショナル・スクールの宿題と格闘する。おかげで、私は思春期の娘と毎日、実に多くのことを語り合い、改めてお互いを深く知り合うことができた。
 
    一方で、職場での、英語の達者なデンマーク人たちとの応酬は、その価値観や仕事の仕方の相違から、時に厳しく、またストレスに満ちたものだった。会社や職場を転々としながらキャリア・アップして行くデンマーク人たちは、5年以上先のことをほとんど考えない。終身雇用のために、10年先、20年先の事業展開を当たり前に議論しがちな三菱重工からの出向者たちにとって、彼らの取り組みはあまりにも近視眼的で場当たり的に見えた。
    フラットな組織を旨とし、新入社員でも社長をファーストネームで呼び捨てにするカジュアルな文化、会議の席では歯に衣着せず、誰もが率直に意見を言い合う民主的な文化には感心したが、一方で、社の方針として決めたことでも、気に入らなければいちいち異を唱え、意思決定に関与できていない、といっては話を振り出しに戻そうとする幹部たちには辟易とさせられることも多かった。

    デンマークの人たちの、できるだけ物事をシンプルに考えようというスタイル、一人一人の権限や責任を明確に規定し、互いの領域を侵さないようにしようとする姿勢は、物事を複雑に捉えすぎて堂々巡りになりがちな日本人と比べて、極めて合理的で効率的だった。一方で、組織をまたがる複雑な問題を前にしたときは、彼らはあまりにも偏狭すぎてサイロに陥りやすく、物事を包括的に考え、当たり前に横通しを重視する日本人のやり方の方が強みを発揮した。
    上司と部下、同僚同士の関係において、「信頼関係」が何よりも尊ばれているのも特徴である。会社への忠誠心を前提にしつつも、ミスやリスクへの過剰な恐れから、性悪説で二重三重の管理を課しがちな日本企業と異なり、デンマーク人たちは性善説に立ち、互いの自主性を重んじる。自分が信頼した部下がやった仕事、計算なら上司は全面的にそれを信じ、あまり詳細をチェックせずにサインする。むしろ担当者がやっていることを上司が何度もチェックしたり、あるいは過度に介入したりすることはマネージャーとしてあるまじきことと戒められる。もし部下の知識や経験不足で重大なミスを犯したり、部下が悪意を持っていたりしたらどうするのか、と心配しがちな日本人に対して、彼らは、それも含めて責任を取るのが上司の仕事だし、二重チェックをするような無駄な仕事をする余裕はない。もし悪意を持った社員がいればルールに則って即刻解雇するだけのことだ、とにべもなかった。
    個人への信頼や自由と裏返しに、各人にはプロとして自己を律し、自主的に(彼らはproactiveであることを最上の美徳と考える)学び、知識を得て、成果を出すことを徹底して求める。この厳しさこそは、集団で仕事をし、何でも連帯責任で処理しがちで境界の曖昧な日本の組織との大きな違いだと感じる。

 


    ワーク・ライフ・バランスも、この各人の自律、規律があるからこそ初めて成り立ち、企業の競争力や生産性と両立できているのだということを、日本から北欧を見る人たちは見過ごしがちだと思う。
    ぐずぐず考える前にとにかくスタートしてみて、ダメならまた考え直す、というスピード感もデンマーク人に固有のものである。リスクや失敗を嫌い、なんでも事前に根回しして、リスクをチェックして、段取りを整えなければ気が済まない日本人と対照的だ。その分デンマーク人チームは壁にぶち当たることも多くその度に大騒ぎになるのだが、失敗を恐れずまず動く、という良い意味での「野蛮さ」は競争市場で事業を展開して行く上で、また、社会をより良いものに変革し、進化し続ける上では大きな強みだと感じる。
    一見親しみやすく、昼食時には食堂で同僚とのコミュニケーションに余念がないように見える一方で、職場での人間関係には暗黙の一線を引き、極力プライバシーを守ろうとするところも、擬似家族的な人間関係に浸かりがちな日本企業とは大きく異なる。 彼らは自分たちのことを、ワーク・ライフ・バランスを重視し、仕事は昼間の場で完結させる合理的なプロフェッショナルであり、接待や飲みニケーションに頼りがちな日本人やアジア人とは異なるのだ、と胸を張る。
    一方で、毎晩家族と食事をするために、職場の同僚と飲んだり食べたりして交流を深める機会が乏しいこと、それによって人間関係が表面的でよそよそしいものに留まりがちなことを内心物足りなく思っている側面もあるのだ。そうでなければ、社内のクリスマス・パーティや、泊りがけのチーム・ビルディング・イベントで夜中の2時、3時まで、あそこまで興奮して飲み続け、語り続けるはずがない。
     煩雑で冗長な書面での取り決めや根回しを嫌い、何事につけ口頭での説明、その場での合議を重視するのは、北欧でもデンマークに特有の文化かもしれない。これも、会議で決めることは全て事前に細かく書面で作り込み、その場でのアドリブやサプライズを嫌う日本人の仕事のやり方と大きく異なる面である。幼少の頃から口頭でのコミュニケーション、議論を重んじて育てられ、会議で発言しない者は存在しないのと同じだと教え込まれた彼らは、どんなに凡庸な意見でも、他人と被っていても平気で発言し、それを互いに辛抱強く聞き合う。合意していればあえて発言せず、意味のない発言を嫌う日本人とは大違いで、逆にデンマーク人からみれば日本人は何を考えているかわからないし、本当に賛成しているのか不安になりがちな部分かもしれない。
    こうした様々な仕事上の相違やストレスを乗り越えながら日々を過ごす中で、どちらが良い悪い、ではなく、双方の良いところを何とか組み合わせようと心がけるようになったが、今となっては、むしろ純然たる日本流に辟易としてしまっている自分に気づきハッとする毎日である。

2. 市民生活編

   

 
    デンマークに住む外国人駐在員の最大の悩みは、デンマーク人の友人を作ることが極めて難しいことだ、と良く言われる。さほど社交的でない日本人の私にとってすら、オーフスに住みながら、会社と自宅の往復のみを繰り返し、仕事を通した事務的な付き合いだけに終始することは実に味気なく、大きなストレスだった。
     幸い、マラソンを趣味とする私は、デンマーク最大の市民スポーツクラブであるAarhus1900の中のランニング・チームを紹介され、デンマーク人だけのチームに加入することができた。週3回、サブ3(注:フルマラソンを3時間以内で走ること)を目指す、とにかくハードなトレーニングを続けることで、時間はかかったものの、老若男女の別を超えて、様々な職業、バックグラウンドをもつたくさんのデンマーク人と親しく付き合うことができた。
    私のデンマーク社会、デンマーク人に対する見方、考え方、感じ方は、会社生活よりも、むしろこのランニング仲間との日々の交流、文字通り裸での付き合い、家族付き合いを通して得られたところが大きい。彼らが家族を大切にすると同時に、いかにプライベートライフで趣味や仲間を大切にするか、身体を鍛え、自分を律することにストイックであるか、そして肉体的、精神的にいかにタフであるか、を肌で感じさせられた。
    日々のトレーニングだけでなく、バスをチャーターして一緒に参加したハンブルク・マラソン、アムステルダム・マラソン、ベルリン・ハーフ・マラソン、毎年恒例のオーフス・シティ・ハーフ・マラソン、地元の無数のレースやイベントを通じて、ともに苦しみ、喜び、自分の限界に挑戦する中で、心の底から友と呼べる関係を結び、また彼らの内面を知ることができたことが私のデンマーク生活を何倍も豊かなものにしてくれた。
    デンマーク語を覚えられなかったために、ランニング中、あるいはトレーニング後の延々と続くおしゃべりやクラブハウスでの語らい、パーティなどで彼らの会話を理解できなかったことは痛恨だが、そんな異邦人の私を彼らは決して分け隔てすることなくいつも輪に誘ってくれ、友として遇し、そして尊敬すらしてくれた。
    高校の部活のように苦しいインターバル・トレーニング、山道を延々と走る30kmのペース走、オーフスの坂道を10本以上ダッシュし続けるヒル・トレーニング・・・、なぜこいつらここまで頑張るんだ、と半ば恨めしく思いつつ、彼らも私のことを「マサト、お前はニンジャか?なんてストロングなんだ」と感嘆し、私も「そういうお前らはバイキングか。そのパワー、スタミナはどこから出てくるんだ!?」と互いの健闘を称え合ったものだった。
    身内だけのニューイヤー・ホームパーティーに招かれ、女王陛下のスピーチをともに聴き、伝統的なクリスマス料理とワインでくつろぎ、深夜のクレイジーな花火に興じたこともあった。オーフス大学のビジネススクールで教えるチームメイトとは、ランニングのライバルであると同時に、企業戦略や組織のあり方について深夜まで語り合った。


 

    中には村上春樹の熱心な読者もいて、走りながら、また飲みながら、ムラカミの新作や長編の解釈について、その背景にある日本の歴史や文化について、またデンマーク人が共感できる部分について幾度となく語り合ったのも、私にとって新鮮な体験だった。その後、ひょんな事で同氏の大部分の著作をデンマーク語に翻訳されているメッテ・ホルムさんと出会い、翻訳の裏話を聞き、日本文学とデンマークについて語り合えたのも望外の喜びだった。
    2015年のハンブルク・マラソン、生涯初のサブ3にこだわりオーバー・ペースで突っ込みすぎたために、後半40kmを過ぎて低血糖症になって意識を失い、人事不肖のまま救護所で意識を取り戻したこともあった。全身の苦痛と恐怖、悔しさで打ちのめされていた私に、「今日はマサトの日じゃなかったが、絶対次がある。お前はストロングだからここまで自分を追い込めたんだ」とスパで温かく励ましてくれた仲間たち。わざわざこの大会の公式写真やビデオを調べて、私が最後の1kmを運営委員に手を取られ、ふらふらになりながらもフィニッシュしたことを突き止め、大会事務局に、私がもらい損ねた完走記念メダルを請求してくれたチームメイトもいた。彼が書き添えてくれた “No pain, no gain. You deserve this. To my friend” というメッセージとともに、今もこのメダルは私の宝物である。
    英語が苦手な仲間だとなかなか話しかけてこない人も多い。それでいてパーティで酒が入ると「おい、マサト。俺はお前がチームに来てくれて本当に嬉しいんだぞ。このチームがちょっとインターナショナルになった感じだからな。何か困ったことがあったら何でも言ってくれ」と入れ替わり立ち替わり耳元で語って行く。
    ちょっとシャイでツンデレで、それでいて根っから温かいユランのデンマーク人たちと一緒に汗をかき、サウナで汗を流すことで、私なりにこの国の根っこの部分に触れることができたように感じる。

3. 社会制度編

    もう一つの私のデンマーク社会との接点は、自閉症の次男、俊樹を受け入れてくれたオーフス・コミューンの福祉制度である。
    オーフス・コミューンは、重度の知的障害を伴う自閉症をもつ俊樹の医療的、療育的な情報、成育歴、現在の日常生活を詳しく調べた上で、彼を、自閉症やADHD(注意欠陥多動性障害)の成人を対象にした3年間の通所療育施設STU4(STUはデンマーク語で「特別に組織された高等教育」の頭文字)に迎え入れてくれた。
    30名弱の利用者が通うこの施設では、自閉症の特性に応じた一人ずつ個別の日課、プログラムがきめ細かく組み立てられ、自閉症者の扱いやコミュニケーションに優れた職員によって、最新の自閉症療育の理論に従って整然と教育・療育が運営されている。施設自体はさほど新しくないが、一人一人が落ち着いて過ごせるような個室やスペース、パソコンや設備も完備されている。

 


 
    しかし何よりも驚いたのは、この施設とオーフス・コミューンの、成人自閉症者の教育に対する思想、根本的な哲学だった。
    STUは個々の生徒に、「社会における責任ある市民として、活動的で独立した成人生活を送るために必要なサポート」を提供することを目指している。自閉症は言葉によるコミュニケーションが難しく、時には自傷やパニックを起こす重篤な社会性の障害である。日本ではこうした自閉症者への福祉は、とにかく、深刻な問題行動を抑え家族の負担を軽減するためのサポートか、はたまた、経済的な自立のみを目指した、職業能力開発や作業訓練に偏っている。そもそも、こうした支援にすらアクセスできず、家庭内で家族の献身的な負担でなんとか生活している障害者も多い。
    ところが、このSTUでは、自閉症者を「独立した責任ある市民」とみなし、「独立した成人生活」をサポートしようとしているのである。具体的には、知人にお茶を入れてもてなすための基本的なスキル、作法を教え、様々なスポーツ、ボーリングや観劇、パーティ、バーベキュー、ハイキングからショッピング、テレビゲームやボードゲームまで、大人が友達を作って楽しく過ごすために必要な社会的な経験を一通り積ませる。その上で「シチズンシップ」という科目では、民主主義の思想や選挙の仕組みを教え、一人一人がきちんと政治参加できるための知識や経験を積ませるのである。デンマーク語のできない俊樹には、何とか友人たちとコミュニケーションさせたい、とスマートフォンのGoogle翻訳を活用して英会話を教えてくれた。
    ここに、高福祉国家であり生粋の民主主義国家であるデンマークの真髄と根本思想を垣間見た気がした。
    福祉とは、単に障害のある人に同情したり、生きながらえさせたりすることでもなければ、何とか労働者として社会に貢献できる生産能力に育て上げることでもない。障害の有無にかかわらず、「市民」として生活できるようサポートすることなのだ。市民とは、この民主主義社会を支える責任を持った構成員であり、知的障害があろうが、社会的な障害があろうが、それを支援することが国の責任であり、それを支える財源は国民の税金で賄われるのだ、という確固たる共生の思想がそこにある。
     一つ象徴的な出来事があった。この学校の父兄懇談会で、ある新入生の母親が、「高校までと違って、うちの息子がここで何をしているのかがよくわからない。もっと日常の様子を学校から連絡してほしい」と要望した時、職員は毅然として突っぱねたのだ。「息子さんはもう成人です。学校が何を親に報告して良いかは、ご本人が意思決定することであり、親といえども本人の了解なく学校での出来事を伝えることはできません」と。
    障害者を責任ある成人として遇し、その権利と責任を明確にする発想がかように根付いているのである。
    また、日本では自閉症者はそもそも健常者と異なり、他人との積極的なコミュニケーションや関係性を求めていない、と決めつけがちだが、デンマークでは自閉症者にも当然社会的なつながりや交流が必要だという前提でプログラムが組まれているのも、新鮮な驚きだった。
    デンマークは北欧諸国に共通のいわゆる高福祉高負担国家である。医療、教育が無料で、年金も完備している。どんな出自でどんな境遇でどんな家庭に生まれても、健康的な市民としての生活が送れるように国が保障する仕組みである。そのためにかかる莫大な費用は国民の高率の税金で賄われ、結果として国民負担率は75%以上におよぶと言われる。
    それが成り立つのは、働ける人が働いて社会を支え、誰一人として取りこぼさず、取り残さず、市民として尊重していくという共生の思想が、歴史を通して、国民にあまねく共有されているからに他ならない。
    俊樹をたった一人の外国人としてこのSTU4で受け入れたとき、オーフス・コミューンは、デンマーク語を全く解さない彼のために、週に10時間、専任の日本語通訳をパートタイムで配置してくれた。オーフス大学で日本語を学ぶ優秀な学生さんが中心で、俊樹が先生や職員、同僚たちとスムーズに生活できるようにきめ細かい配慮をしてくれた。
    なぜそこまでやってくれるのか、そう尋ねる私に「必要な人に必要な支援を提供するのが、国の義務なのだ」とケースワーカーはこともなげに答えたものだ。
 
   

    私は会社やランニング・チームの同僚たちに、ことあるごとに、「これだけ高い税金を支払うことに不満はないのか」と尋ねたが、口々に返ってきたのは「もちろん税金は安いにこしたことはないが、いずれ必ず何らかの形で戻ってくるのだから何も損しているわけではない。それに、我々は、デンマークの政府は正しく税金を使っているはずだ、と信用しているから」という答えだった。

    ここに日本社会の閉塞を解く上で根本的で、しかし到達しがたい深遠な解があると思う。
    それは、国民が共有している、国民全員で共に生きていこう、という意思と、政府や政治家に対する絶対的な信頼である。その裏には、自分たちが責任を持って正しい政治家や政府を選び、監視してきたという自負と、もし何か間違ったことがあればまたいつでも変えられる、という民主主義への信頼や市民としての自己の力に対する確信があるのだと思う。
    デンマークに住むすべての人に平等の権利を認め、個人を尊重し、それを維持するために、必要な人が必要な支援を受け、負担できる人が負担する。この絶妙なバランスが成立するのは、あくまで小さな島国の、600万人弱の限られたコミュニティで、長い歴史と過酷な自然を共有する同質な国民集団だからかもしれない。
    ここに、考え方や信条、価値観、あるいは宗教を大きく異にする人々が加わり、福祉にタダ乗りしようとしたり負担を拒否する人が増えたり、あるいは人口構成的に福祉と負担のバランスが崩れればこの制度を維持することは難しくなるかもしれない。実際、当のデンマーク人たちも、デンマークの政府も深い懸念と大きな問題意識を抱えている。
    しかし、少なくともこれまではこの絶妙なバランスが、国民の不安を取り除き、満足度を高め、そして犯罪の少ない安全で暮らしやすい社会を生み出しているのである。あまりに規模や背景、人口構成が異なるとはいえ、日本の閉塞状況を打破する根本的なカギは、まさに国民を挙げて、日本流高福祉高負担への舵を切ることではないか、と私は真剣に思っている。
    今、日本の経済を停滞させ、成長を阻害し、国民の不安を増大させているのは、おそらく根本的な将来不安である。消費税10%へのわずか2%の増税に何年もかかる国、コロナ禍での特別給付金支給のためのマイナンバーによる個人情報捕捉にもプライバシーを理由に反対する国民性。国政の不備をあらゆるシーンで批判し、不平を言いながら選挙にも行かない多くの市民。
    それはデンマークと対照的に、政府を、そして自分たちの市民としての力を信じられない日本人の不幸に基づいている気がする。民主主義の歴史も、文化も異なる日本がデンマークと同じになることは不可能だしその必要もないが、資本主義における成長と豊かさ、自由主義と民主主義を両立させるための重要な鍵をデンマークから学ぶことができることは確かだと思う。

終わりに

    デンマーク語もできない、わずか6年間オーフスに住んだにすぎない私がデンマークについてどうこう語るのは甚だ僭越だと思う。ぜひデンマークに在住する多くの邦人の皆様、旅行者の皆様、そしてデンマーク人の方々のご指摘、ご批判をいただければ幸いである。

    今やデンマークは私にとって、個人の生き方、社会のあり方を考える上で汲めどもつきぬアイデアの泉である。そして、知れば知るほど、考えれば考えるほど、謎が深まる奥深い存在でもある。
    というのも、デンマーク的なものの根底には、多くの矛盾するものの絶妙なバランス、パラドックスがあるような気がしてならないからだ。

    まず根本的なのは、「個人主義」と「共生主義」である。個人が自立し、互いの干渉を排除し、プライバシーを極端に重視するお国柄。他人は他人で、ごく一部の親しい友人や家族、親族以外には時に冷淡で関心も薄い。しかし、一つの国民、共同体としては共生を本義とし、誰一人落ちこぼれを出さないために、必死で働いてみんなで高い税金を払いながら支える社会でもある。

    経済の面で見れば「競争」と「共生」という対立軸もある。 デンマークでも民間企業は市場原理に則って熾烈な競争を追求する。カルテルや談合を憎み、労働市場も極めて流動的で競争的ある。労働組合との協業、合意はあるが、個々人のレベルで見れば解雇の自由度は高く、能力や成果に応じてシビアに処遇される。一方でそうした競争で振り落とされた個人には、国が失業給付や再教育の費用負担を行い、安心してチャレンジできるセーフティーネットを準備する。

 


 
    「伝統」と「革新」
    古いものを尊び、愛し、古い家具やデザインを長く使い続ける一方で、政策や社会制度に関しては現状をドラスティックに変えることを厭わない。一旦導入した政策でも誤っていると感じればさっさと撤回してしまう。国営の石油ガス会社が脱炭素社会を目指して従来の事業を一切やめ、社名さえ変えてしまう。省エネで地球環境を守るために、バスタブを廃してシャワーのみに切り替えてしまう・・・。この辺りのバランスも見事なものがある。

    「自然」と「人工」
    デンマークの人、特にユランの人は自然をこよなく愛する。どんなに寒い冬の日でも外を歩き、特に森や池、湖のある公園や遊歩道を愛し、家族で、カップルで何をするでもなくただただ歩き、話し続ける。雨が降っても傘もささずに平気で歩く。
    一方で、コンクリートとガラスを大胆に取り入れたモダンな建築が次々と生み出され、プラスチックやスチールを使ったモダンなデザインが取り入れられる。北欧流のユニークなキュイジーヌを誇るレストランが次々と生まれる。

    まだまだ枚挙にいとまがないが、そんなパラドックスに満ちたデンマークは、国連の世界幸福度調査で例年上位にランクされる常連国でもある。なぜデンマークが世界一幸福な国なのか。上述してきた様々な要素が国民の安心度、満足度を高めていることは間違いない。


 





 
     

    しかし、もう一つ申し添えるなら、私は、デンマーク人が「足ることを知る」人たちだからなのだと思う。
    高度なグローバル資本主義の世界にありながら、アメリカや日本と比べて物質主義や拝金主義に走りすぎていない。新しいもの、人と違うものを買い集め保有することで満足を得ようとするのでなく、物よりも心のあり方、つまり「心地よく生きる」ことに価値を見出しているのがデンマーク人ではないか。
    有名なHyggeの概念はまさにそれを象徴している。彼らは、「心地よい時間」をこよなく愛し、そのために小さなコミュニティでの親密な人間関係を優先し、それを彩る環境としての快適な家やインテリア、家具、デザインを愛し、無数のキャンドルを灯し、温かい食事を施し、お茶やお酒に興じる。音楽を愛し、美麗で高級なオーディオ装置を好む。また、心地よい気候や太陽を求めて長期の休暇に興じ、そのために黙々と働く。
   
    日本の国や制度を一気に変えることは不可能であり、その必要もなかろう。しかし、私たち一人一人が、デンマーク人にならって足ることを知り、そのために必要なことをシンプルに積み重ね、時に大胆な現状の変更を厭わなければもっと豊かな人生、社会生活を送れるのではないか、そう私自身は確信するようになった。

    すっかり長くなってしまったが、最後に、大学の恩師が紹介してくれてずっと心に残っているヘミングウェイの『移動祝祭日』の冒頭の一節に、私のデンマークへの思いを託し拙稿の終わりとしたい。


「もしきみが幸運にも
人生のどこかでデンマークに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
デンマークはきみについてまわる
なぜならデンマーク
移動祝祭日だからだ」

ヘミングウェイ著 福田隆太郎訳『移動祝祭日』岩波書店 同時代ライブラリーから引用、太字部を「パリ」から「デンマーク」に改編