デンマークと私 第6回 安岡美佳さん

令和4年1月20日

  「デンマークと私」の第6回目は、ロスキレ大学准教授、JETROデンマークコンサルタントの安岡美佳様に執筆をお願いしました。お忙しい中、本稿の執筆を快諾いただき、心から感謝申し上げます。
 

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デンマークはどのような国ですか?そう言われたときの私の答えは、「幸せの国」、「IT先進国」だ。これはここ数年多用してきたフレーズであるが、実はちょっと違うなと思いながらいつも使っている。頭をよぎるのは、「デンマークにいるから私は幸せ」なわけではなく、「デンマークのITは技術的にとてつもなく優れている」と思っているわけではないという点である。個人的な評価との乖離を感じつつ表向きの回答で済ませる自分に、嘘ではないと言い聞かせつつも、私は正直に答えていないのかもしれないとちょっと心を痛めたりする。デンマークは、私にとって「幸せ」という一言では言い表わすことは難しい国である。時に苦しめられ、時に知的好奇心を満たしてくれる多面的な国、かつ、知らない方が心を乱されなくて済んだかもしれないという気持ちから愛憎を感じずにはいられない国である。

2000年のクリスマスに初めて、その後人生のパートナーとなる男性とデンマークを訪問し、2005年に2年間のつもりで北欧に住み始めた。大学で「社会におけるICT」の研究をしつつ、日本とデンマークのビジネスの橋渡しをする役目をいただき、業務を通して、学術、ビジネス、政治という視点からデンマークに触れ、私生活の個人的体験から文化的な側面のデンマークを知り、さらに、そこから改めて日本を発見したりした。

気がつけば、2022年現在、北欧生活16年が経過しようとしている。訪北欧前に居を構えていた米国で、それなりのカルチャーショックを経験しすっかり世界を知った気になっていた私ではあるが、その後のデンマークでの生活では、それまでの常識を揺るがす数々の衝撃を受け続け、その衝撃は今のところ止む気配はない。きっとこの感覚はずっと持ち続けていくんだろうと思っている。

なぜ、私が愛憎入り混じった感情をこの国に持つようになったのか、私が今までの16年間の生活で私が最もデンマークらしさを感じ、かつ、私の心を揺さぶった事柄を3つ紹介することから、伝えてみたいと思う。
 

皆で作る社会

政治は私たちの社会にとても大切であること、時に面倒くさくても楽しいことであると教えてくれたのは、デンマークである。日本に住んでいた時には、政治について考えたこともなかった自分がそう思えるようになったのは、政治がとても身近であり、民主主義の理念が社会に根付いて空気のように毎日の生活に埋め込まれているからなのだろうと思う。

デンマークの首相は、自分の言葉で語りかけ、間違いを謝罪することもしばしばある。政治家であったとしても、官僚であったとしても不正は許されず、違法であると判断されれば投獄されることもある。メディアで流れる政治報道や政治家の発言は、私にとって不慣れなデンマーク語であるにもかかわらず、なぜかとてもわかりやすかった。話す訓練をしているということもあるだろうが、デンマークの政治家は、派閥が織りなす政局や戦術や幕裏での暗躍に明け暮れるのではなく、ダイレクトに自分たちの考えや提案を市民に話しかけ、まつりごとをする政治家だからなんじゃないかと思っている。水戸黄門を見て育った私は、政治というのは、悪代官や表舞台に出てこない暗躍する枢機卿がいて、戦略を張り巡らせ、時には金のカステラを渡し、人を懐柔することで動くものだと真剣に思っていた。デンマークで政治が社会を治めるツールとして動き、さらにその本質はとてもシンプルであることを知って、多いに驚かされた。

政治家だけではない。一般の人たちの言質や行動にも驚かされた。そもそも政治の根本をなすのは、市民である。一人一人が、社会と国を支える一人として、自分ごととして政治を考えること、自分が社会のために国のために、何をすべきで何が貢献できるかということを考えることが必要になる。しかし、当時の私は、そんな民主主義の基礎を何一つ理解できていなかった。「え、市民参加?政治家が国の方針を決めて公務員と動かす、それが彼らの仕事なのに、自分の仕事を国民にやらせようとするってそれ違わない?」と思っていた。これは、ケネディの有名なスピーチ「My fellow Americans, ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.」にも述べられていることだ。なんでこれが歴史に残るような素晴らしい演説で、市民が沸いているのかわからなかった。恥ずかしながら、これを理解できるようになったことがデンマークに来て最も良かったことの一つだ。

デンマークは、全ての人が社会のために貢献することを前提とし高福祉を実現している。貢献とは多くの場合、税金を納めることを筆頭に、国の政治に物言ったり、地方自治に参加したり、地域のコミュニティを支えたりすることなど多種多様だ。もちろん、種々事情で今は貢献できない人もいるだろうけれども、そんな人たちを排除するのではなくて社会的弱者として社会全体で支え合おう、時期が来たら貢献してね、という合意がデンマークをはじめとした北欧諸国にある。それで初めて高福祉高負担の社会が成立する。

近年の北欧に見られる移民難民問題で悩ましいのは、両輪の片方つまり社会のために貢献するという高負担なく、高福祉のみが求められる状況があり、車輪が回らなくなっていることから起因することが多いように思う。それは、残念なことにいわゆる槍玉にあげられがちな東欧や中東移民や難民だけの問題ではない。一時的にせよどのような理由にせよ、この社会の一員となり社会保障の恩恵をうけている私たち日本人在住者にも問われている覚悟なんだろうと思う。
時間をかけて意見を聞き討論をし、あーだこーだと議論に励む北欧人の姿に、時には、プロセスをすっ飛ばしてでもいいから、リーダーの判断でさっさと決めてしまえばいいのに、と思ったこともある。しかし、長年培われてきた冗長にも見えるプロセスには、民主主義を守り抜くための工夫が数多く埋め込まれていることに気づいた。バイデン米国大統領が就任演説で述べたように「民主主義は脆い」。だからこそ、闘い続ける必要があるし、全力で守って行く覚悟と努力が必要なんだろう。
 

 

弱者に寄り添う


日本で普通にのほほんと生活していた私は、デンマークに移り住むことで突如として「移民」となった。永住するかどうかは保留であっても、私に与えられたのは、今まで、想像したこともない社会的身分である。外国で外国人として生活することが、時にこれほどまでにストレスになり、時に不安で心細いものだと理解することができたのは、外国に長期的に住むことになったからに他ならない。滞在ビザが更新できなかったら?旅行先で滞在ビザを無くしたら?無実の罪で拘束・投獄されたら?社会に未曾有の危機が起こったら?外国人であるからという理由で、ワクチン接種が後回しにされたら?これは、私一人の感覚ではなく、海外に生活する人たちは同様の思いを感じているのだろうし、ゆえに日本に滞在する「移民」も同じだという感覚を持つことができたのは喜ばしいくも苦しいことだった。

デンマークに住んでいたからこそ気付かされたことがあり、なによりもそれに感謝を感じている。それは、アンビバレントではあるものの、不思議にも多くの社会的課題に真摯に取り組む国の姿である。この国は、間違えることはあるかもしれないが、司法は法的根拠に基づく判断をくだそうと努力し、政治は人道上の理念に実直に向き合い自分たちなりの倫理観を保とうと努力し闘っている。21世紀になり、欧州一帯で外国人の排斥が進む中、EU市民ではない私は、日本に住んでいたら考えもしなかったような当事者性を感じながら「移民」について考えざるを得なかった。急進的政党の不穏な発言や欧州に広がる外国人排斥運動に、怒りと恐れを感じながらも、同時に、デンマークの国としての対応、多くのデンマーク人が私以上に怒りを示している姿、難民やその外国人を保護しようと全霊を注ぎ込む人たちの存在に幾度となく助けられた。そして移民を非難する側と支援する側の両者の存在が広く社会に認められ、暴力に訴えるのではなく理知的な議論の舞台が整えられていることに、安堵感を覚えた。同時に、世界に目を向けると、多くの国での外国人・移民・難民への対応には、目を背けたくなるようなことが多発していることに気付かされ、自分の事のように憤りを感じることもあった。

「弱者に優しい国」とはこういう国なのだと腹落ちできたのは、デンマークで怪我や病気で心身ともに「弱者」となった経験があったことも大きい。私は、2006年にソフトボール競技中に網膜剥離を起こし、その後も12年間に渡って目の手術を繰り返している。今では、一見、私は健康そのものだが、手術を繰り返した私の目は半分サイボーグ化しており、普通の人よりも疲れやすく、暗闇も強い光も受け付けない。手術費の心配をしなくていいことがいかに不安を軽減してくれるかと言うことだけでなく、自分が限界だと感じた時に、ちょっと横になっていても、時に数日休んでも、誰からも「仮病に違いない」と非難される心配をしなくてよいことがいかに心休まるものであるか、健康である時には考えも及ばなかった。ちょっとした気持ちの落ち込みや、ちょっと辛い生理痛や妊娠期のつわりなどの時も無理しなくてよく、「男だから踏ん張れ」とも言われないこの国は、ありとあらゆる人にとって優しい国なんだろうと思う。

出産前後の1週間にワークショップや学会発表などをこなしてきた私にとって、ともすれば他者にも無理を強いてしまいがちだ。ただ、長い人生、誰しも浮き沈みを経験する。エネルギーに満ち溢れている時期もあるだろうが、鬱っぽくなる時もあるだろうし、身体に支障をきたすこともあるだろう。自分のペースを見極めつつ各人がその時々を最大限過ごすことを可能にしているこの国を見ていると、もしかしたら皆が幸せになれる国は創れるのかもしれないと希望を抱かせてくれる。

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

デンマークは平たい国であるということはよく言われることだが、子供でも一介の小市民でも「偉い人」に比較的簡単に会えること、意見することができることも、デンマークならではだろう。
私は、研究者の友人たちと私的な相互扶助研究組織である「北欧研究所」を2012年から運営している。北欧研究所の交換留学生でもあるインターンの日本人学生は、20代になるかならないかの年代が多いが、「偉い人」にコンタクトの取得を試みると、多くの場合快諾くださり、さまざまな人が貴重な時間を割いてくれた。今までに大臣を含めた政治家や有名一流企業のCEOや著名建築家などが、快く日本人学生の会社訪問やインタビューに応えてくれている。学生の方にもインタビューや会社訪問するだけの適切な理由と先方への丁寧な説明が求められるとはいえ、真摯に返答してくれる業界の大御所の姿には、今でも驚かされるばかりだ。

かくいう私も、2021年に Bertel Haarder氏とレセプションでご一緒する機会があった。Haarder氏は、デンマークに来た直後に知った私が尊敬するデンマーク人の一人であるが、意を決して話しかけたらにこやかに応えてくれた。コーヒーを片手に、自身の北欧共通ITシステムに関する考えを熱心に説明してくれるHaarder氏に、より一層の親しみを感じるようになったのは言うまでもない。
*1975年に初当選し、自由党政権下で内務相・教育相・文化相などを歴任。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bertel_Haarder
 

ベアテル・ホーダー議員との対話写真は、東海大学ヨーロッパ学術センターのご厚意により提供いただいた(写真家:Ivar Wind)
東海大学ヨーロッパ学術センター50周年式典レセプション(2021年9月1日)



コロナ禍で注目された子供による首相記者会見も、典型的な平等の国デンマークらしさを感じさせる。2020年に発生したコロナ禍直後の春、学校が閉鎖され、休暇などの楽しみが次々と消えてしまった。「いつまで続くのか」「誕生日会を開催していいか」という子供らしくも本人たちにとっては切実な質問に真剣に答える形で、「子供向け記者会見」を実現させた首相の姿に好感を持った人も多いだろう。

口の悪い人は、人気取りだよと言うかもしれない。でも、たとえ人気取りだったとしても、子供を子供扱いせず、真摯に質問に答える首相の姿は、多くの未来の大人たちに強い印象を与えているに違いない。少なくとも、大人はそのように対応するのが常識だ、と考える大人を増やしているのではないだろうか。

おわりに:私はデンマークで幸せなのか?

北欧での生活を通して、今まで見えてなかった日本の良さにも数多く気付かされてきた。おそらく海外に住む日本人が皆感じるところであろうが、第三者的視点から、時には比較から見ることができた故に、母国をより一層知り理解を深めることができていると思っている。同時に、私は、毎日の経験を通して反発しつつもデンマークのやり方を認知・受容するようになったり、日本よりもうまく動いている事項を発見しては、デンマークはよくできた国だなと改めて感じ「デンマークに住む自分」を改めて位置づけることができているように思う。デンマークに住んで16年も経つと、毎日の生活に新鮮味を感じる発見はほぼなくなり、淡々と日々の営みをこなしている。正直、日本でもデンマークでもたいして変わらず、普通に毎日の生活を送っていると言っていいだろう。
一方で、自分はデンマークで生活しているんだと意識することもある。それは、きまって「デンマークに住めて幸せですか」と聞かれたり「デンマークに骨を埋める覚悟なんですね」と言われる時だ。そのような質問に困惑する自分がいると同時に、デンマークに住んでいなかったら今の自分はなかったことを再認識させられるからだ。

私にとって、デンマークは、存在することの知らなかった世界を見せてくれる国である。新しい真実を見つけろと私の緊張感のない心を叱責し、ぬるま湯に浸かろうとする私を厳しく諭し、もっと知るべきことがある、まだまだ行ける、限界を超えろと私の耳元で囁き続ける国でもある。デンマークが示す現実には、できれば知りたくなかったことも多々あるし、知らないふりをしたくなる。そして、先にあげた3つの発見は、どれも知る必要があると感じるのと同時に苦しみももたらした事柄でもある。

デンマークの誇るマースクの創始者の言葉に、次のようなものがある。
If you have the ability, you also have the duty" -- Mærsk Mc-Kinney Møller
私にとってこの言葉は、「知ったのであればきちんと伝えていけ」と言ってくるかのようだ。

デンマークを知らなかった頃の自分に戻ることはできない。だからといって、デンマーク人になることもできない私は、アンビバレントなデンマークに対する感情を捨てることもできず、この幸せの国で幸せと言い切ることができない毎日を送っている。たとえこの国を離れたとしても、デンマークを知ってしまったことで得た宝「知った苦しみ」は消えることはないだろう。もう終わりにしたいと思っているが、終わらせてくれない。そして、きっと新しい発見は今後も続いていくんだろうと思う。